2015年2月22日日曜日

perceptual someday


たとえば旅をする、一人暮らしを始める、留学をする。行くまでは、よし行くぞ、などと意気込んでいたのが、いざ着いてみると、やることがない。心細い。どうしてこんなことを……、戻ってしまおうか……、お金もないし……、などと考える。
ぽっそりとした気分になって、眠る。次の日の朝、昼かもしれないが、起き出して、近くをうろつきまわる。何もすることがない。腹が減る。町の喧噪がただただ自分に関係のない音として流れている。数日すると慣れる。
淡々と過ごし、時に遊びにいく、時に仕事にいく、時に人と寄り集まり鍋をする。
散歩は旅情がある。


聞こえるものは、ラジカセから流れる映画音楽と、TVでやっているフィンランド映画の音。打ち込みの音を交え、クラシカルに、現代的に、スムーズな旋律がしている。TVからは男や女、子どもやおじさんの声がしている。爆発音もしている。見ると、男が銃弾をうけ倒れていて、白いオープンカーの座席に深くうずくまるように座っている。それを心配そうに見つめる男女が立っている。男は車のボタンを押す、するとゆっくり、幌がうしろから出て来て、装着される。次のカットでは、男女が車を運転し、海岸沿いを走っている。撃たれた男は後部座席にもたれ込んでいる。病院に連れて行かれるのだろう。



歩いていると、いっときの情景を思い返す。
寒い夜だった。月が薄曇りの奥に大きく、花のように輝いていた。瑛九の抽象画のようだと思った。はは、古くさいたとえ……、自分で自分を笑った。けれどじっさい、そうとしか言えなかった。
私は逃げていた。逃げたいものが沢山あった。仕事や住まい、人付き合い、習慣、携帯電話、性癖、物ごと、過去……。ある種の芸術家たちのように、爽やかに少し醒めた狂気をもって逃げられたら、趣味だけをもって颯爽と逃げられたら、よかった。


たとえば、誰か呼ぶ声がするように思われることがある。それで実際に階段を降りドアを開け表に出ると、誰もいなかったことも。声がする、男女の談笑。盛り上がっている。すると、今度は隣の部屋から電子音がする。と、思えば別の部屋から、女性の潜めたような笑い声、それで男の咳払い。窓を閉める音。

年末は、火事をしていた。友人は自宅の裏から20本ほどの竹を切り、用意していた。それをトラックに載せて、はみ出させながら、河原に運ぶ。中州にひそやかに竹を集め、上の方を縛る。それを大勢でよいしょ、と持ち上げ、テントを立てる。組み上がったテントの中で、盛大に、あるいはひそやかに、音楽をする。
集まった人に応じて、もうひとつ、間に合わせのブルーシートを使って、向き合うようにテントが立てられた。テントのなかの演奏者を、すこし離れて、テントの中の観客が見る。石油ストーブや薪ストーブ、豚汁やローソクが行き交い、とても和やかなムードになってきていた。
けれども、人びとがやってきていて、友人は彼らと話していた。人びとはよからぬわけではなくて、クレームを発したのがよからぬ人だった。だからテントを畳まぬかぎり彼らは帰れなかった。仕方ないと、みんなでテントを畳んだ。


この言葉は初めて使ってみるが、素敵なユニゾンがしている。ドラムに女性のベースボーカル、ビブラフォンに、エレキギター、アコギ。時にみんなで一緒に叫ぶ。あるいは、にゃむっとした男のギターボーカルに、にゃむっとしたヴァイオリンの女性、ひとり、やたらキレキレのパーカッション……。

畳んだテントをこりずに橋の下まで運んで、橋の両側に幕をたらして囲んだ。すると一方は空いているのだから、建造物ではない。そこでまた音楽を続ける。詩人やバンド、弾き語りが行き交う。
そろそろだな、長髪の男がそう言って、もうひとりもうなずいた。木を集めてきて、火をつけた。はじめはじんわり、ゆくゆく燃え上がって明るく、揺れるに合わせ大きな影がゆれる。火に鍋をくべる……。


間違えて電車に乗っていた。乗り直して行った先の店は今日は閉まっていた。これ以上座っているのも電車ばかり乗っているのも厭だから、歩いて次の駅に行くことにした。雨模様だったけど雨は割と好きだからいい……なんて何を偏屈な……と言われるかもしれないが、じっさいそうだから仕方が無い。

寒いし、ひとけもない。まだ昼過ぎだというのに窓を閉ざし、電気を点けて、住宅街の人びとは過ごしていた。
施設があった。お寺が運営しているホールのようなものか。にわかに明るく、そこに大勢が列を成している。
と、爆ぜる音がしている。焚火にくべた竹が、節が燃えるたび、爆ぜている、ぱん、大きな音。


夜明けまで、火にあたって鍋をつついていた。ゆらめく影を眺めながら喋り合い、ひとりはドラムを喧しく叩きながら叫ぶように歌っていた。ウィキペディアの解説からはじまる「退屈」のうた。

明けましておめでとうございます。
年末に電話番号を聞いていましたが、結局お電話をせずすいません。
あなたの、書店の展示を見まして、とても面白いと思いました。
それで、何か出来ないかと考えています。
迷いながら考えているのですが、ひとつ、コラボレーションのようなかたちで、紙面を作るのはどうかなあと。
たとえば、この町を徘徊して、何かモチーフ(抽象的なものでも、古物的なものでも、あるいは、路上観察的なものでも)を見つけて、作品にしていただくとか。
いかがでしょう。もしご興味とお時間があれば、一度お会いしてお話できませんでしょうか。

しばらく火を囲んでいると、次第に、強い風が吹いてくるようになった。橋から垂らした幕が、大きくはためく。その間から見える空が、だんだんと、明るくなってくるようだった。鳥が数羽、飛んでいて。幕の向うの小さな丘に、人たちがほたほたと歩いてきていた。日の出を見るのだろう。


Mさんは、眼をくるくるさせていた。比喩ではなく本当に、目がひとところに落ち着いていない。乱視というのか、いや、乱視ではないだろう、これは何か、何か名前のある症状のはずだ。一昨日会ったときは、まだこうなってはいなかった。また会う日には、元に戻っているんだろうか。どうなんだろう。聞かずじまいになってしまった。
Iは、三年前に会ったときはもさもさと男らしい感じだったのに、久しぶりに会うと随分やせて、なんだか、女の人みたいになっていた。華奢な骨をしている。色も白く、なんだか肌もつるりとしていて、どうしたのだろうか……、言っていることは特に変わらない。何か、あったのだろう、もしくは何もなかったのだろう。これについても、聞かずじまいだった。
それは初夢だった。

日が昇りきった。鍋が煮えきった。麺が汁を吸いまくっている。それをTはお玉ですくってお玉からすすって、何も言わずに鍋の中味を焚火に投げた。じゅうじゅうといい匂いをさせながら、くすぶって、火は消えた。竹を片付けた。火事が終わった。年がかわった。


久しぶりに夜遊びをしたら疲れた。まだ早いのに、ひと眠りした。二眠りした。少し様子がおかしい。
わたしは逃げたかった。いや今も逃げたい。逃げたいということは、逃げていないということだ。
そうなってダメになると、いや大丈夫だ! と小さなバネがうごく。はずだけど、そのバネもだんだんと、少し参ってきているように思う。
何年も前の手帖を見ると、同じことが違う比喩で書かれている。
歩くと景色が広がる。いい陽射しだった。空はすんでいた。ドアを開けて、一歩、二歩、……100メートルほどのところにある。昨夜吐いたところを見にきたのだけど、まだ乾ききっていない。もう少し待って、もう一度見にくることにしようか。よく晴れていたから、液体がきらりと、輝いていた。
記憶と記憶が連鎖反応を起こして、何かストーリイが生まれる。
たとえば牛がこちらを見ていて、
……ああ、とか、うう、とか言う。
前に歩く、歩く、歩くと景色がかわる、と思う。


気づくと目の下にひとの顔がある、こちらを見上げる、小さなひとの顔。
すこし、微笑んでいるように思える。それか何ともない無垢なかお。何なのだろう、けげんな風でもあるけど、すこし面白そうにこちらを見上げている顔。かわいらしい。手を引いて、こちら、こちら……と連れて行くと、だんだんと慣れてきた。爽やかに彼女は笑った。
気づくと段々と歩く速度をあげていて、手をひき次の角を曲がりバス停に停まっていたバスにのった。

それが、オロちゃんだった。
オロちゃんは最近、もう10歳になったから、段々と人間らしくなってきていた。彼女はブラジル人とのハーフで色は浅黒く、髪はうすい黒……、ふわふわとカールしている。大きな瞳をしている。8歳というが11歳くらいに思える。ほっそりした身体をしていて。
ぎゅっ、と抱きしめたいと思った。けれどそんなことをしたら驚いてしまうから、しない。ただ何となく、眺めているだけ。一、二メートルの距離をおいて。きれいな目をしている。

「わたしの国にはこんなものはない、日曜の夜中なんて、みんなもう寝ている」
いつの間にか寝息をたてていたオロが、そう呟いた。イギリス人観光客にでもなった夢を、見ているのだろうか。



ゆれすぎてふるえる。





0 件のコメント:

コメントを投稿